パート7:信じること

ここまで私は、二つの基本的な考え方を示してきました。一つは、私たちの人生が罪を受け継いだために堕落してしまったこと。2つ目は、イエスが私たちの救いのために来たということです。聖書は、これらのことを信頼できる事実として伝えています。

さて、これらの二つの関係と、これをベースにして私たちがどのように変わっていけるかについてお話しましょう。

大事なことは、これらの真実を私たちのものとするには、これらを信じ、自分たちにあてはめることです(「信じる」という言葉は、「何かを信用する」ということと同じことを意味します)。それでは、新約聖書に250回もでてくる言葉ですが、聖書で使われている、信じるという概念をもう少し詳しくみてみましょう。

まず、信じるということが意味していないことは何か。信じるとは、希望的考えや根拠のない希望ではありません。神との関係は、稼ぐとか働いて得るものでもありません。よい行いをするとか、単に「よい人間」であることでもありません。宗教団体に属するとか、クリスチャンの家族に生まれてその伝統に従うということでもありません。

信じることには目的があります。それは、私たちが誰かに、或いは何かに確信を持つということです。行為を示す言葉であり、意識的に決心をすることなのです。私たちは、信じることを選択するか、或いは信じることを選択しないのです。どちらであってもそこには決断があるのです。

聖書によれば、信じる者は、頭で考えるだけのことでなく、心の奥底から信じるのです。私たちが信じるとき、先ほど述べた真実とイエスという人に希望を託すというコミットメントが結びつくのです。

信じる時、私たちは、神の私たちへの愛に応えるのです。その愛はとても深く、計り知れないほど大きく、彼が私たちにしてくれた全てのこと、そして私たちに期待されている全てのことを包みます。そして、イエスは、私たちが彼との関係を完全なものにすることを強く望んでいるのです。

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